今の日本に求められているのは「大久保的」人材である[歴史街道2018.6月号]
2018/6/1
幕藩体制という既存の秩序を破壊し、わずか数年で、近代国家をゼロから組織した明治新政府。西郷隆盛と大久保利通は、この大きな変革の中核を担った。なぜ、そんなことが可能だったのか。マーケティングの視点から分析する。
組織変革に必要な3つのキャラクター
「ザ・チャレンジャー・カスタマー」(マシュー・ディクソン他著)という平成二十七年(2015)に出版された、セールス(営業)についての本があります。
それによると、組織の変革に必要な条件は二つある。「外圧」と「平均5.4人のキーマンが関わること」です。
従来、高付加価値の商品やサービスを継続的に購入してもらえるよう、クライアント企業を変革するためには、トップを落とすことだと言われてきました。
しかし、トップを説得し、納得してもらっても、社内の様々な部署から反対の声が上がれば、稟議が通らないのが現実5.4人だというのです。
さらに人数よりも重要なのは、その中に、
・教師 (Teacher)
・推進者 (Go-Getter)
・懐疑者 (Skeptic)
の三つのキャラクターが揃っていることだといいます。
教師とは、未来を構想して、周りを導く人のこと。戦略家といってもいいでしょう。
教師に従って、実際に変革を起こしていくのが推進者です。
そして、懐疑者とは、いったんは「NO」をいう人。周囲が盛り上がる中でも、冷静に、ロジカルに考え、細かい決め事をしていく人です。企業でいえば、法務や経理の担当者に多いタイプです。
このいずれが欠けても、組織の変革はうまくいきません。
維新の三傑が担ったそれぞれの役割
これを明治維新という日本の大変革に当てはめて考えると、確かに、西洋諸国からの「外圧」がありました。また、キーマンについては、「教師」に当たるのが大久保利通だったと、私は考えています。
大久保が暗殺される当日、明治十一年(1878)5月14日の朝、福島県令・山吉盛典が大久保を訪ねました。
山吉に大久保は、次のように語っています。
「明治元年より十年に至るを一期とす。兵事多くして則ち創業時間なり。十一年より二十年に至るを第二期とす。第二期中は、最も肝要なる時間にして、内治を整え民産を殖するは此時にあり。(中略)二十一年より三十年に至るを第三期とす。三期の守成は、後進賢者の継承修修飾するものを待つものなり」
彼は二十年先のことまで考えていたのです。当時、誰よりも高い視点を持っていたのではないでしょうか。
大久保は、明治四〜六年(1871〜73)に、岩倉使節団の一員として欧米を視察しています。
左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通(国立国会図書館ウェブサイトより)
また、父・利世は琉球館附役を務めていましたから、幼い頃から海外の情報に接していたのかもしれません。
利世からは、陽明学などの学問も教え込まれました。
母方の祖父・皆吉鳳徳は、西洋式帆船「伊呂波丸」を建造した人物で、西様風の筒袖の着物を愛用していたといいます。
彼の視点の高さは、こうした経験や背景によってもたらされたのかもしれません。
では、大久保の盟友だった西郷隆盛はといえば「推進者」に当たるでしょう。
彼は、既存の秩序を破壊することを得意としました。大久保は、その西郷の特質を把握し、必要な時に呼び寄せて、うまく使っています。
歴史街道2018年2月号で、私は西郷のことを「トランプのポーカーゲームでいえばジョーカーだ」と表現しましたが、まさに、大久保にとって西郷はだったのです。
大久保、西郷とともに維新の三傑に数えられる木戸孝允は、周りが熱くなっても、ひとり冷めているタイプの「懐疑者」でしょう。
大久保、西郷、木戸の三人が揃っていたからこそ、明治維新を成し遂げた上、新政府の組織をわずか数年で構築できたのではないでしょうか。
しかし、この三人は明治十〜十一年(1877〜78)に、相次いでこの世を去ってしまいます。 大久保のいう「第二期」以降を担うことはありませんでした。
最後まで 続いた西郷への信頼
大久保と西郷の人生を見ると、大久保が不遇な時期は西郷が助け、西郷が不遇な時期は大久保が助けています。まるで夫婦のような信頼関係で結ばれていたように感じます。
明治十年の西南戦争の時、西郷が挙兵したという報せを聞いた大久保は、
「こんなことのありようわけがない。私が今こうして瞑目して西郷のことを考えてみるに、どうしてもこんなことの起こりようがない」
といいました。
西郷の死後には、
「西郷の心事は天下の人にはわかるまい、わかるのは俺だけだ」
といっていたと、二男の牧野伸顕が振り返っています。
明治六年の政変を、大久保が西郷を中央政府から追い出した政争だと見る向きもあるようですが、こうした言葉を読むと、私には、とてもそうは思えません。
大久保と西郷の絆は、最後まで続いたと見るべきでしょう。
大久保が欧米視察中の留守政府を西郷に託したのも、西郷への信頼があったからこそだと思います。
それは、「西郷は自分の思いどうりになるだろう」ということではなく、「西郷に任せておけば、間違ったことはしないから大丈夫だ」という信頼です。
幼い頃から同じ郷中で育ち、日本の未来について語り合ってきたからこそ築けけた信頼関係だと思います。
「一強」では改革を成功させられない
企業のグローバルな競争が激化し、また、国家間の新たな秩序が模索されている今、日本には再び大きな変革が求められています。
安倍晋三首相は、アベノミクスを実行したり、改憲への動きを加速させたりと、変革を進める「推進者」であることは間違いないでしょう。
しかし、「推進者」だけでは、大きな変革を成功させることはできません。変革をしようとしても、小さな「改善」に留まってしまいます。「教師」と「懐疑者」も仲間にしなければならないのです。
ところが、今の日本の政治状況は、しばしば「安倍一強」だといわれています。
果たして、安倍首相とともに変革を成し遂げる「教師」と「懐疑者」はいるのだろうか。あるいは、近いうちに登場するのだろうか。それを、私は懸念しています。
とりわけ重要なのは、数十年先の未来を見通す力のある「教師」です。
リニア新幹線やスーパーコンピューター、仮想通貨などは、日本の未来を大きく左右する重要な問題です。これらについて明確な未来像を描いている「教師」は、安倍首相の側にはいないのではないかと、昨今のニュースを見ていると思ってしまいます。
今、日本に求められているのは、何十年も先を見据える視点を持った、大久保のような人材なのです。