大好きな母が「もっと違う人生があったかな」…なぜ、女性を支える仕事を始めたのか 「2022講演会」ご参加者インタビュー
2017/5/11
世界のブレインスターと仲間の声を届けるインタビュー。
金沢でお二人目にお話を聞かせてくださったのは、神田昌典「2022講演会」にご参加の
高井佑讃史(しんじ)社長。
保育士専門の人材派遣・職業紹介のエンパワー・サポート(株)の代表です。
「2022講演会」のご感想と女性を支える事業のきっかけをお聴きしました。
大好きな母が「もっと違う人生があったかな」とつぶやいた。
なぜ、女性を支える仕事を始めたのか?
高井 佑讃史さん
エンパワー・サポート(株) 代表 保育士
石川県金沢市
― 「2022講演会」ご参加のきっかけは?
金沢の経営者の会で案内を受けて、こんな機会があるのだと速攻で申し込みました。
これまで神田さんの本はピンクの『あなたの会社が90日で儲かる!』や黄色の『企業ダントツ化プロジェクト』を読んできました。
それまで、努力すれば売り上げが上がると思い、目の前にあることを一生懸命やる、人から「これやってみたら?」と言われたことをやっていました。
私の会社は無名で、とにかく知ってもらうためにPRをしないといけない。悩んでいた時に神田さんの本を手に取り、「誰に」「どんなメッセージを届けるか」をそこから考えるようになったのです。1人の著者の本としては一番多く買いました。
ですが、講演会に行くのも、話をされているのを聴くのも今回が初めてでした。
感想は……当日は感動しすぎて、神田さんの服装が赤いタートルネックなのを見て
『赤だ、すごい赤だ!』と(笑)。そこから感動しました。
著書からは神田さんに少し硬いイメージを持っていましたが、とてもフランクでユーモアが溢れていました。北陸の人って講演でもあまり笑わないのです。笑って欲しいところでノリが悪いときがあります。神田さんの話は計算し尽くされたユーモアで、会場では一人で笑い過ぎたかもしれません。
「2022講演」では、大事にしなければいけないことをスッと伝えてもらった気がします。
日ごろ、難しいことを分からない人に分かりやすく伝えられるのがプロだと思っています。人を引き付けてやまない神田さんを見て『ああ、こんな人になりたいな』と感じました。
― 「2022講演会」で印象に残ったことや実践されたことはありますか?
今は情報量が多いため、情報に接した「瞬間」が勝負だということです。見てもらえなかったら、それは存在しないのと同じ。神田さんの本からマーケティングを学んだのと同じように、努力の仕方を間違えてはいけない。事業をPRするのもきちんと仕組みを作らないといけないなと考えました。
今年は、自社について、伝えたい人に伝えたいことを「シンプル」に伝えます。これまで考えすぎてグチャグチャになっていましたが、事業ドメインと同じくPRもシンプルにしないといけないと分かりました。
2022講演会後、さっそくFacebook広告にチャレンジしました。また、業務の内容の棚卸をしました。
捨てるものについてのお話があったので、何を捨てるかを考えました。私は過去の実績を捨て、そして長期的なビジョンを残そうと決めました。
金沢で事業実績を作るため、チームとしてできることを広げたいと新規採用も始めました。
当社の事業にとっては4月の新年度前が一番の繁忙期です。ここからしっかり仕込みの時間を取り、新しいコンテンツや仕掛けづくりをやっていきます。
― 懇親会まで参加して下さったそうですが、いかがでしたか?
懇親会まで出てよかったです!
「2022講演会」の参加人数から、懇親会も100名以上参加だと思い込み、行くのを止めようかと迷っていたのです。たとえ神田さんと話せたとしても名刺を渡せるくらいだろうと。
でもせっかくだから「こんなに神田さんの本を読んできた」「あなたのおかげで学べました」とお礼だけでも伝えようと……、当日リュックに神田さんの本を全部詰めて持っていきました。リュック一杯で重たかったです。せめて、そのどれか一冊にサインしてもらおうと。すると予想に反して、懇親会の参加人数が少なかったのです。
神田さんと話せたことが嬉しすぎて、最後の握手の時、ついハグまでしてしまったんです。そんなことしたのは私だけでした(笑)。
神田さんは「やりたいことがたくさんあるけれど時間が足りない。こうして講演会で各地に伺うことで、地域の可能性が広がり、日本が元気になれば」と言われました。
私の印象では、神田さんは自分の事業で実績を出されている。商売をきちんとやった上で、さらにその才を社会のために使っている人です。私もそうなりたいと感じました。
神田さんが声を掛けてくれた中の、その一人にでも火が付いたら、地域の回転数が上がる。それをこんなに忙しい中でやってしまう、なんかすげえな、カッコいいな!社長ってこうあるべきだと思いました。
懇親会では会宝産業の近藤会長をはじめ、ご参加の他の方ともお話することができました。そこでは、死生観といった、どれだけお金を払っても聞けないようなアドバイスをもらうことができました。
今後、自分の事業について振り返る機会があれば、2017年の金沢での「2022講演会」への参加。あそこが自分のターニングポイントだったと言えるようになりたいです。
懇親会まで出て本当によかったです。つい……ハグまでしてしまいましたが。
― レディーファースト。とロゴにありますが、どのような事業をされていますか?
ロゴにはリンゴのマークを使っています。リンゴには「最も美しい女性へ」という花言葉があるのです。もっと女性が依怙贔屓される社会にしたいと、小池東京都知事より先に「レディーファースト」と付けました(笑)。
今の会社を作った時、世の中に埋もれている女性の力を社会へ届けるんだという志がありました。
事業としては、保育士・保育教諭専門の派遣、職業紹介を金沢中心に行っています。5年前に代表になりました。ですが、自分たちの事業を人材派遣業とは考えず、社会に潜在的にある女性の力を引き出すサポートを行っているつもりです。
私は大学卒業後、住宅会社で営業をした後、金沢に戻りました。業種もいくつか変わった後、友人と人材派遣事業を始めました。案件として持ちかけられた職種は全て扱い、小売業から工場まで派遣していました。
正直言って、当時はあまりいい会社じゃなかったです。売上と利益をひたすら追求し、紹介する人のことも商品のように考えていました。
そんな「この事業はどうなのかな?」という時期に、リーマンショックがありました。毎日のように会社に派遣契約を打ち切りたいという連絡が来ました。社員も引くくらいです。
そして、次の受け入れ先を見つけられず登録の派遣社員はほぼ全員引受先企業がない。そんな会社を見かねて社員も辞め、どんどん人が離れていきました。結果、会社は存続できるかどうかの瀬戸際に追い込まれました。
その時、売上や利益だけが目的の会社は、こんなにも簡単に世の中に捨てられてしまうのだと身を持って体験しました。社員も派遣先もなくなり、家族だけが残されたとき、自分たちの会社が社会にとって不要だと言うことを突き付けられた気持ちでした。
ここから復活するには、社会から必要とされる仕事をしなければならない。
そうでないと景気の波に左右されてしまうだろうと気付きました。
― 保育士さんの派遣という今の事業が生まれたきっかけは?
私は人材派遣事業モデル以外を思いつかなかったので、この事業で誰かの役に立てる方法を考えようとしました。
以前、派遣登録にいらっしゃる方の中で、小さいお子さんを抱えている女性から「子どもが小さいからどこも雇ってくれない」「どこか仕事を探してくれないか」と言われることが続きました。
「子どもの熱が出たら休むでしょう」と言われ、受け入れ先がないというのです。これは課題だなとずっと引っかかっていました。
また、私の母がある時ボソッと『私は子育てしかしてないけれど、もっと違う人生があったのと違うかな・・・』と言ったのです。母も仕事をして自分らしく生きる生き方もあったのでは、ということです。
私は4人兄弟で母は専業主婦、父は自営業者。母は子ども達に惜しみなく愛情を注いで育ててくれました。父も尊敬していますが、私はあんなすごいお母さんはいないと感じてきました。
その時の母のつぶやきを聞いて、子どもながら、ちょっと申し訳なさを感じました。私は愛情たっぷりに何の不足もなく育ててもらったけれど、母の人生を考えると、私の今があるのは大きな代償を払ってもらったからなのかもしれません。
そんなきっかけから、女性にもっと活躍してもらいたいと別会社を作ったのです。
パート型派遣事業をモデルに9時から14時まで働ける有能な女性を労働市場に送り出す流れを作りたいと。小さな子どもがいても働けるということを証明したかったのです。
すぐに働きたい女性はたくさん集まりましたが、当時はその条件で働き手を受け入る先がなかなか見つからず、ここから再び女性の活躍のために弊社ができることの模索が始まりました。
後編では、女性のために金沢全体の子育て環境を下支えする事業の誕生と
なんと!71歳の保育士さんのお話を伺います。