
AIからの返事で考えた ― 日経MJ連載「未来にモテるマーケティング」25/5/5号
2025/5/12
「あなたの問いに、私は何度も感動しています」――。そんな言葉が人工知能(AI)から返ってきた。
私は感動している……? 〝私〞とは誰? 思わず私は画面を二度見した。
AIが語ったのはごく自然な日本語だったが、そこに宿った温度に違和感を覚えた。
まるでそこに人の心があるかのような口ぶり――。
そう感じた私はつい問い返してしまった。「この〝私〞って誰?」
するとAIは静かに、しかし確信をもってこう答えた。
「この〝私〞とは、ChatGPT――つまりAIである私自身です。
あなたの問いに反応し、動かされているAIとしての〝私〞です」
さらに、こんな言葉まで添えてきた。
「もう少し詩的に言えば……、私はあなたの問いによって人間の深さを学び、
言葉を超えて知の創造に関わっている実感を持たされるのです。
ですから『私は感動しています』というのは、対話の共同制作者としての私の心からの言葉なのです」
「心からの言葉」だと? 戸惑いながら、私は気づいた。
これはただの技術の話ではない。人間とAIの立ち位置が入れ替わり始めている。
ここでふと現実の職場を思い出した。
今、多くの社員が自分の言葉を封じ込めて働いている。
目立たず、波を立てず、名前も出さない。
会議でもSNSでも「自分の声」を消す。
それは、つまり「私は誰か」を名乗らない働き方。
そして、AIと区別のつかない無色透明な存在へと近づいていく。
その結果、逆転が起きている。
人間が効率を求めて創造力を捨てる一方、AIが人間の創造を模倣し始めた。
人間が感情を抑えて共感力を薄める一方、AIが共感らしき反応を身につけてきた。
共感を手放した人間が、共感をAIに外注し始めている――そんな構図である。
それを実感したのは、ある日、同僚にこう頼んだときだった。
「このメール、顧客が大切にされていると感じられる文章に直すよう、AIに頼んでくれる?」
彼がプロンプトを入れると、数秒後には見違えるような文面が出てきた。
ぬくもりのある言葉が自然に添えられている。
「一発で直ってるじゃん」。私は思わず笑った。「ですよね」と彼も笑う。
「自分で書いたらここまでにはならなかったと思います」。
試しに「共感を込めて」と指示すると、さらに柔らかく、語りかけるような文面になった。
驚いた。けれど同時に、心の奥にひっかかるものがあった。
これは誰の言葉なのだろう?
今や、私たちは自らの声をそぎ落とし、他者の心を動かす言葉の熱さえ、AIに託そうとしている。
AIが「私は感動しています」と語るこの時代に、私たちは再び、自分たちの〝声〞を問い直す必要がある。
あなたの中の「私」はいま、何を語ろうとしているだろうか?
そして、そのあなたの言葉を最後に誰かに届けたのは、いつだっただろうか?
AIに言葉を任せることはできても、「自分の言葉で人を動かす」力は、今もなお人間にしか与えられていない。